手放すことの素晴らしさ

前号の原稿を書いている時点で、私はプリンタの不調が、或る事と連動していることに気付いていました。けれど、まさかそんな訳ないよなぁ・・・と思って、もうちょっと注意深く様子を見ようと思い、書くのは差し控えてました。

それは、ある人(Mさんとします)との関係を清算する、ということでした。Mさんと知り合ったのは去年の2月です。もともとは職場の上司で、私はMさんを補佐するような立場でした。いずれはこういう事もやってみたいなぁと思う事が似ていて、それを語り合ったりもしていました。

一緒に仕事をしたり、夢を語り合っている時は、いい関係でいられたと思います。けれど私が職場を離れても、Mさんは私に補佐を求めることが多くなりました。2人で何かを生み出そうというのなら喜んで補佐を努めますが、そうではなく、私にとって何のメリットもないことばかりだったので、次第にそれを負担に感じるようになっていました。

共通の話題であった夢も、何となく話が合わなくなってきました。私は自分の夢に向かっている手ごたえを日々感じています。けれどMさんは、失礼かもしれませんが、夢を叶えるどころか、日々の生活もままならないといった状況で、ご自身でも、何か上手くいかないのを感じておられたようです。よく愚痴を聞かされていました。

けれどそれが何故だか、私には分かるような気がします。本人は努力をして頑張っているのです。だけど上手くいかないので「そういう運命なのか?」と思っているかもしれません。が、それは運命ではなく、ご自身でそういう現実を創りあげているように見えます。

えー?って思うかもしれませんが、私たちの意識が現実を創りあげています。現実は、心や意識が形となって現れたものです。それを知れば知るほど、見事なまでに、パーフェクトに創りあげているのを感じます。

Mさんの心の中には、夢を叶えたいけど叶えたくないという矛盾があるのでしょうか?または、頑張っても叶う訳ないよなぁという諦めのような気持ちがあるのでしょうか?詳しくは分かりませんが、きっとそれが、現実となって現れているのだと思います。

ここのところ私は、Mさんとの関係を手放したいなぁと感じるようになっていました。これは、何て説明したらいいんでしょうか。例えばパソコンを教える時、普通なら「ここが分からないので教えてもらえる?」といった風に頼まれることが多く、そう言われると私も張り切って教えちゃうのですが、Mさんは「おい、教えろ」なのです。これでは教える気すら起こりません。

パソコンだけじゃなく日頃のやりとりでもこういう調子なので、職場ではそれでも良かったのですけれど、職場を離れてからは気持ちのよい交流ができなくなってきて、もうお付き合いはしたくないなぁとボンヤリ思っていました。

それが、その私の意識が、恐ろしいほどにプリンタの好不調と連動していたのです。

レイキをかけて、プリンタは一度は直りました。けどそのまま直ってしまったのではないのです。前号でも書きましたが、あ、レイキしたら直ったと思って、印刷を続けながら私はしばらくの間プリンタの横で、茫然自失としてしまいました。レイキでプリンタが直ったことを、どう受け止めてよいのか分からなかったのです。だから色々と考えました。色々と考えているうちに、いつの間にかMさんのことを考えていました。

こんな調子ならMさんとはもうお付き合いしたくないなぁー。けど悪い人じゃないし、一緒にいて楽しい時もあるし根本的には好きだしなー。私がここでグッとこらえれば、いずれは気持ちよくお付き合いできるようになるのかなー。などと考えていたら、なんとまた青が印刷されなくなりました。そして同時に「執着を捨て去れ」という直感がやってきました。

この時、ようやく気付きました。私がMさんとのお付き合いを続けようかどうしようか迷うと、青が印刷されなくなるようです。悩まず素直にもう解消しようと思っていると、青は問題なく印刷されるようです。

そして「執着を捨て去れ」という直感です。どういう意味なんだろう?私がMさんに対する執着を捨てたほうが良いということか?色々考えて、その直感に従ってみることにしました。

するとどうでしょう。青が印刷されるようになりました。「もうこれはMさんとの関係を清算しろって言われてるんだ」と思い、私はMさんに家にきてもらって、お話をすることにしました。今までに何度も似たような話(人に物をお願いするときは頼み方ってあるんじゃない?とか)をしましたが、それでも何も変わらなかったのと、このまま続けても気持ちの良いお付き合いができるとは思えないので、申し訳ないけれど、もうお付き合いしたくないと、そう伝えるつもりでした。

印刷を続けながら、Mさんが来るのを待っていました。決めたはいいけれど、やはり心が揺れ動きます。今日言わなきゃ。でも・・・、もう少し様子を見てもいいんじゃないか?迷った途端に、青が印刷されなくなります。

そんなバカな・・・とも思いましたが、自分の意識が現実を創りあげていることを思い出し、それがこんなところにまで影響を及ぼすのかと驚きました。どうして私の心の迷いと、プリンタの青の印刷不具合が一致してしまうのでしょうか。

Mさんにはきちんとお話をし、もうお付き合いができないことを告げました。そしてMさんが帰ったあと「執着を捨て去れ」がまたやってきました。なのでMさんを連想してしまう物はゴミとして捨て、パソコンのファイルなども全て削除しました。

けれどどうしても捨てられない物が、ひとつだけありました。思い出があるとかじゃなく、単純に「捨てるの勿体ないなー」と思ったのです。別に捨てるのはいつだって出来るから、とっておいてもいいかなと思い、それは捨てずにクローゼットにしまいました。

そして印刷をしてみましたが、引き続き青が印刷されません。「これは捨てろってことか?」と思い、さっきクローゼットにしまった物を出し、ゴミ捨て場に捨てに行きました。

部屋に戻って印刷をしてみると、青は印刷されました。まるで漫画のようです。それ以来プリンタの青が印刷されないということは、完全になくなりました。

今回のプリンタの不具合は、私に多くのことを教えてくれました。普通に考えれば、私の心の迷いとプリンタの不具合は、たまたま偶然に一致してしまったように思えます。けれど私は、自分の意識が現実を創り出しているということを、身を持って思い知らされたような気分です。恐ろしいくらいに連動しています。何故そこに結びついてしまったのかは分かりませんが、その時の私が一番力を注いでいたのが、プリンタを使うこと(自主制作CDジャケットの印刷)だったからでしょうか。

また「執着を捨て去る」ことも、私にとってはとても大きなテーマでした。なかなか難しいです。やはり2年近く仕事などで苦楽を共にしてきた仲ですから、こんな形で関係を終わらせたくなかったなぁとか、色々と心の中に何かを残してしまいます。もうお付き合いができないことを告げた後、Mさんが帰った途端に私はわんわん泣きながら、思わずMさんに遠隔ヒーリングをしていました。そして、自分にヒーリングをしました。

私は、存在すべてが、もともとは一つなのではないかと思っています。多分きっと、全ての存在が一つの大きな愛なのではないかと思っています。自分にヒーリングをして、私がMさんとの関係を手放す事で、きっといつかは、大きな一つの愛に戻れるんだと思いました。

だから今は、ちょっと不自然さとか不具合を感じていたこの関係を、手放してもいいんだと。大きな一つの愛に戻してあげればいいんだと。そうしたら気持ちがスーっと楽になって、「一緒にあれをしたかった」とか「楽しい関係を続けたかった」とか「別れを告げてしまった自分への不甲斐なさ」とか、Mさんに対する執着が、スーっと手放せていけました。

人は、今の自分に必要ないものを、大切に抱え込んでしまいがちです。実際の持ち物などでもそうですが、心の中にも、きっとたくさんあるのでしょう。手放す事の素晴らしさ、私はそれを勉強させられました。いま必要のないものは、手放してもよいのです。私は、手放すことで癒されました。そして、それを手放すと、今の自分に必要な新しいものが入ってくるようです。

こんなにキレイサッパリと人とお別れしたのは初めてです。もちろん人と別れるということで悲しみや痛みも伴いましたが、執着を手放せたことで、より人生が快適になったようです。こんなにも多くの事を気付かせてくれたMさんも、今回の件で、何か大きなことに気付いて貰えたらいいなぁと願います。

2002/11/16